悩みは解決する必要はないし、本当の意味を探す必要もない
今、山本哲学塾で哲学を知り、実践することで世の中の構造を見極めるという作業をし続けています。
結局、ビジネスも人生も悩み事も人間の生み出すすべての根本的な構造について考えるのが哲学。なので、哲学を学ぶことはビジネスや人生の質をあげることにつながるという、山本雄一郎先生のお考えがあってのことです。
たまたま、その塾で「意味」ということがテーマにあったので、哲学塾の内容はここに書けませんが、そこから私自身が考えたことを書きます。
人は世の中には「意味がある」と思って、普通に生活しているんですが、現代哲学的には「意味は無い」ということが言われます。
これは、普通に現代人なら実感できるのではないでしょうか?
一昔前なら 一流企業に入る →(意味)一生安泰 権威のある人が言うこと →(意味)正しい
など、何も疑うことなしに考えていた人たちが、今は、ごく普通の社会人や学生が「そんなの意味ないんじゃない?」と今までの価値観をうのみにするのではなく、疑問を持つようになってきたし、その割合が高くなってきていることは間違いないように思います。
しかし、そこで言われる「意味は無い」ということは、まだまだ認識度としては低いんです。
今回哲学塾で「“意味は無い”ということも意味は無い」ということが取り上げられました。
これは、非常に面白い!と思いました。
現在「今までの価値観って意味がないんじゃない?」と考えている人たちは 「意味がない」ということに“意味を見出している”ことになるってことです。
つまり、「今までの価値観って意味がないんじゃない?」と考えている人たちは、“意味など無い”と言いつつ、実は「新しい別の意味があると信じて模索しているの過ぎない」ということになるんじゃないでしょうか?
今ある意味から別の意味へよりどころを移そうとしているとも言えます。
でも、その答えは見つからないですね。
なぜなら、「意味が無い」ということは「別の意味も無い」し、「意味が無い」ということ自体も意味がないんだから。
・・・頭がぐるぐるしてきますね。
これこそ、現代人は悩みの元なのでは?。
人生と本当の意味とは?なんて、昔なら哲学者とか、ごく一部の人しか考えなかったことなんですが、今は多くの一般の人が悩んでいて、一般化している。
ある意味現代は、一般人の「プチ哲学者化」とも言えます。(ある意味、ものを考える豊かさを手に入れたおかげとも言えます)
古代から哲学者は悩み、考えるのが役割なんですから、「プチ哲学者化」してしまった現代人が悩みが多いのは仕方がない事態なんです。
問題は哲学者は考え、悩むことを自覚し、自発的にしているけど、 「プチ哲学者」の現代人は、悩み考えることを自覚してないし、自分から望んでそうしているとは思っていないんですね。(本当は望んでるというか、望まされているんですが)
だから、早く悩みを解決したい、本当の意味を見つけたい!と願っているんでしょう。
しかし、そもそも「意味」ということを考えると
悩みは解決しなければならないものなのか? 本当の意味を探さなきゃいけないのか?
ということに行き当たります。
世の中には本当の「意味」など無い、そして、本当の「意味」はたくさんある。
一見矛盾した考え方ですが、実はその矛盾すべてを包括したあやふやな世界観こそ、自由に考えることを獲得した現代の私たちの生き方なのではないでしょうか?
「意味」は、アート、特に現代アートにおいて重要なテーマです。 アートと意味の関係性については次回書きます。
それと、2016年5月26日19:00-20:00に新宿にてアート鑑賞で思考力と感性を高める対話型鑑賞法の無料体験会を行います。喫茶代だけで参加できますから、ご興味ある方はメッセージをください。(募集人数4名)
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