土管から二項対立を崩す陶工の思考
「私は習慣から身をねじる、未だ見ぬ私が見たいから。」 ~陶工 河井寛次郎~
河井寛次郎を陶芸家と言うべきか?彫刻家と言うべきか?悩ましいですね。
最初は繊細な中国古来の焼き物の技法の研究に打ち込み若くして、名人といわれる技を身につけます。
しかし、そこで 「君の作品は物真似だ!」と言われ、自分のオリジナリティーを探求していくんですね。
工事に使う土管の形が綺麗だ!とそういう焼き物を作ったり、後には木彫も習い作品を作り始めます。
伝統的な陶磁器の美ではなく、日常の何でもないものに美を探そうとしていきます。
今までの自分の作風を果敢に壊しながら進んでいった人なんですね。
だからこそ、唯一無二の作品が残り、陶芸の世界に衝撃を与えました。
「未だ見ぬ私」を追いかける河井寛次郎。
自分を破壊し、業界の常識を破壊し、新しいものを作り出しましたが、根底あったのは、「創造」でした。
「私は木の中にいる、石の中にいる、鉄や真鍮の中にもいる、人の中にもいる。一度も見た事のない私が沢山いる。始終こんな私は出してくれとせがむ。.....」
「暮らしが仕事 仕事が暮らし 」
美術品と日用品、仕事と私生活、作品と自分etc.
など、既存の二項対立の価値観を壊して、それらを統括した世界を目指していました。
その象徴が河井寛二郎記念館の庭にある石の球体ですね。
あれは、河井寛次郎が所望して作ってもらったものなんですが、彼の世界観が凝縮してます。
破壊の無い、調和はない。
破壊の先に球体をみてたんだろうなと思います。
破壊しないで調和を求めても、妥協にしかなりません。
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